私の父は 広島に原爆が投下された当時 呉市(広島県)で暮らしていました
まだ子供だった父は あの「きのこ雲」を目にしていたんです
爆心地 広島市から およそ30Kmの距離にある呉市なので
爆風や熱線の影響はもちろん 放射能の拡散の心配もなかったわけですが
そのことを話してくれた父の様子から
それがいかに強烈な記憶であったかを窺い知ることができました
通り(西側)からの眺め
戦後80年
本当の意味で戦争を知っている人は わずかになってしまいました
そのことが私を不安にします
私たち大人には責任があります
知恵と勇気をもって 二度と過ちを繰り返さぬように
子どもたちの未来を守れるように
どうか その責任を果たすことができますように
呉に住んでおられたお父様、原爆投下の当時、それは大変な思いをされたのでしょうね
私の亡き父は戦争に出征し愛媛から久留米(福岡県)で爆撃を受けながらも無事に回避し観音寺に移動を命ぜられ移動も大変だったと生前、話してくれていました
今、生きていたら102歳です
まだ22歳だった時の父の写真は口元が締まり、覚悟を持っての写真撮影をしてから地区の皆さんに駅まで見送られたと聞いています
今の平和な日本、若い大学生達と重ね合わせると遠い事すぎて、実感しがたいね
実体験者から話を聞く事も無くなるんだものね
ウクライナの戦争ニュースで街中が破壊され住む家も学校も病院も橋もグチャグチャに壊され泣いている人々の映像には心痛の想いです
戦争は大切な命と 住む家と ふるさとを失わせる
平和を守る、未来を守る、そのための知恵を出し合い国家同士の軋轢を回避する工夫を尽くして欲しいね
344Akemi 様
お父様は出征されていたんですね
そして戦時中のことを 自ら語られてもいた
うちの場合は しつこく私が訊いて それにぽつぽつ答えるという感じだったなぁ
母親のことを語るときは嬉しそうだったけどね
ウクライナもそうだけど ガザ地区の深刻な人道問題には胸が塞がれる思いだよ
飢餓状態の幼い子どもたちが泣き叫ぶ姿を見て どうしてあんな非道なことができるんだろうと苦しくなる
私たちができること(責任)は そうした世界にならないための 自国のリーダーを選ぶこと
プロパガンダに操られたり 短絡的なステレオタイプにならないよう
しっかり自分の頭で考えて1票を投じたいと そんなことを思う8月なんだよね
本当にそう思うね
責任を持って、代表者を選ぶ選挙の大切さ!
選ばれた人は嘘のない実行力で、知恵を絞り、国の未来を守るすべを尽くす責任を自覚して、国会で居眠りなんかしないでシッカリして欲しい、
世界の戦争、飢餓、偽情報、他人への中傷、心も身体も傷つける事は酷い事だと教育して未来の子供達に恥じない姿を残したいね
344Akemi 様
「人は自分の望むものを信じたがる」
これを確証バイアスというらしいけど
無意識のうちに自分に都合のいい情報だけを集めちゃうみたいだね
誰しもが持つ傾向らしいから気を付けないとね
もちろん 私を含めて
「私 間違ってないかな?」
「 ほんとうに 子どもたちの未来を守るための責任を 果たせているかな 」
私の父は戦前から 貿易の仕事関係でタイに渡っていて
戦争中はタイに過ごしていたので 兵役に着いていないですが
わたしは心中 ひょっとして兵役逃れで帰ってこなかった?とか思ったり〜 というのはなんか心根がいまいち座っていないというか 「お坊ちゃん」的というか、、
戦争に行って帰ってきた叔父は
その辺が どんと肝が座ってたように感じるので、、
でも 戦争に行かなくて済む世の中であるに
越したことはないです〜
わかい孫たちが 今のウクライナや 他の戦争をしている国の若者のように 駆り出さねないように、、
食料配給に集まった 大人や子供も混じっている集団目掛けて
爆弾を落とすなど 信じられない鬼畜の行ないだとおもうけど
戦争は此のようなこ行為を 平気でやれる神経に
してしまう、、ということでしょう〜
katananke05 様
不勉強で タイが第二次世界大戦中に どういった立ち位置にあったのかを知らないんだけど
日本国内に居るより 情報の風通しがよかったかもしれないですね
帰国されなかったのは お父様の賢明な判断だったのかも
イスラエルの人の中にも ロシアの人の中にも
プロパガンダに惑わされず 戦争や紛争に反対を表明する方がいらして
きっとそれは 私達のように安全な場所から異論を唱えるのとは違って
とても勇気のいることなんだろうな と思います(特にロシアでは)
そういう勇気ある方々の安全が守られますようにと祈らずにいられません